フェスティバルトーキョー『桜の園』

本当に毎回多くのお客さんが来て下さり、枯葉まうギリギリまで座ってみて下さりありがとうございます。いろいろな人に助けていただいて、どうにか本番を終えることができそうです。ありがとうございます。


ゴキブリ芝居から価値のない劇とたたかれますが、いいのです。私は叫ぶ姿をみるのが好きだ。幼い頃に大きな声で家のなかではしゃべれなかったからもしれない。矢内原家は厳しいのだと思う。人の価値というのは何で決まるのだろう?価値のないものというのはなにか?と聞いたことがある。『完成の放棄の連続、それがジャコメッティの彫刻なんだよ、それをみると価値がないものはない』そう言っていた。私にとって叫ぶということは完成の放棄の連続になりうるものだろうか?うるさいと削ってなくなってしまうそのことは交わるだろうか?これで演劇は当分やれないが考え続けよう。そう、最後なんてないのだから、今日のMYPの舞台桜の園は最後になりますが、考え続けよう。人の悲しみが本当にわからないのなら言葉なんておぼえるんじゃなかった。私は叫びながら価値がないと言われた自分自身に、価値がないと言われる人に価値があると叫びたい。叫べないのなら、言葉なんておぼえるんじゃなかった。それでも、表現したいという思いを皆とともに抱えて舞台をつくる。すこしでも届くように叫んでいたいと思いながら千秋楽に向かいます。

コメント

非公開コメント

お疲れさまでした

初日最前列でマスクをしなかったせいかぼうっとしてしまい、後日リピートしたらセリフがよく入ってきて全体も俯瞰できて楽しめました。セリフをしゃべらない人のアンサンブルが面白いけど大変だなあと思いました。

Re: お疲れさまでした

> 初日最前列でマスクをしなかったせいかぼうっとしてしまい、後日リピートしたらセリフがよく入ってきて全体も俯瞰できて楽しめました。セリフをしゃべらない人のアンサンブルが面白いけど大変だなあと思いました。

ありがとうございます。