前橋入り

前橋に来ております。アーツ前橋で時計でダンスの制作を行うためと、8月3日に朗読.即興公演を行うためです。今日、明日がワークショップ、稽古と一番厳しいかな、みんなが乗り越えてゆけるか心配ですが、どうにか初日がスタートしたので、大丈夫と信じます。

もちろん、ワークショップなどで公演をやるときと、普通にプロフェッショナルの人とやる時はまったくちがう感覚や考え方を持たなくてはいけない。

確かにダンスや演劇の世界はプロフェッショナルの人達と創りあげる世界で、それはそれで素晴らしいし、そこにおいつく戯曲、振付、演出をやれる人になりたいといつも、いつも思っている。舞台に立つ人を観ている人にもあぁ自分にはできないけど、かっこいいなぁ、素敵だなと思っていただきたいという願いはつねにあるよね。だから毎日膨大な時間をかけて踊り、台詞の練習をするのですね、それが必要不可欠になってくるからです。そこをすっとばしていくことができないから、そうやって時間をつみかさねてきたものは、不思議なことに簡単になくなったりしない。

でも、現代美術におけるパフォーマンスの位置はそうではないと思ってみたります。例えば、Chris Burdenの”Shoot"という作品です。自分を痛めつけるアートパフォーマンスをします。自分の腕を銃で射ったしたりしましたね、これは銃で射たれるということがどういうことなのか?ということを体感し社会に訴えるためですよね、これはギャラリーでやられたわけですから、誰も止めないってなんだと思いますよね、それにYOKOONOの"CUT"などもそうですね、服を着ることを強要されているのにハサミをわたされると服を切ってゆく観客、本人もこんなに切られるとは思っていなかったとなにかのインタビューに書いてありましたよね。人は何故?人を傷つける行為におよぶのか?というなげかけをしてくれます。Joseph Beuysは一週間、フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中にこもって、アメリカ先住民の聖なる動物であるコヨーテとともにじゃれあったりにらみ合ったりするなど無言の対話を続けましたよね。これは、当時のNYはいっさい観ないで、ふれないで、本当のアメリカと接することが目的だったそうです。確か空港から救急車でギャラリーに運ばれたのですよね。


現代アートパフォーマンスは60年代、70年代とても流行したのですが、その後は流行しなくなったといわれてますよね、社会に対して大きな批判をする必要もなくなったのか?なんだか?専門家ではないので、なんとなく現代美術好きの人にはあきられていったのですが、90年代にはいりまた注目を集めはじめ多くのアーティストがパフォーマンスをしてますよね。ダンスや演劇の技術はいらなくても表現者事態の覚悟がいりますよね、また、その訓練をしている人達を起用して作品を発表している人もたくさんいる。

一般の特別に訓練してない人たちと接するときにいつも考えることは、あまりにも有名な言葉『人間は誰でも芸術家であり、自分自身の自由さから、「未来の社会秩序」という「総合芸術作品」内における他者とのさまざまな位置を規定するのを学ぶのである』というヨーゼスボイス言葉について今一度考える。

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