不条理について

2013/07/02
例えば、アシスタントをいれてその人が役割をはたしてないとクライアントに言われ、確かにそうだなと思うと、それをアシスタントに伝える。確かにアシスタント側からすれば『なんだ?それ?』と思うかもしれませんが、そこを育てていく余裕がなくお金をだしてられないとクライアントから言われれば、しょうがないと納得したり、ダンサーでも他にやりたいことがあるからと言われれば、それはしょうがないやればいいと、自分自信に実力がないだけだと納得したりする強さは持っているのですが、確かに、そう、私は不条理に弱い。

何故だ?自分の父親、学(まなぶ、呼び捨てで)なんて、不条理の固まりのような人だ。つまり、不条理くんと呼んでもいいくらいで免疫はあるはずなのですが、例えば、朝はうるさいから俺よりはやく起きるくらいなら学校に行くな、夜勉強していたら俺はもう寝るからおまえも寝ろ、食事中母と話していたらうるさいだまって食えと言いながら自分は話す、子供はテレビをみながらなにかを食べてはいけないが大人はいい、雪山で荷物をすべて母と子供に持たせてはやく歩けと言ったり、手袋をかわかしてやるといってストーブの上においてお父さんこれストーブの上は燃える上においたらいかんって注意書きで書いてあると父に伝えると、はよかわくんじゃと言い待っていると手袋が燃えたり、弟とおまえは存在が違うからおまえに金はかけてられない、男と女はちがう女のほうが程度が低くできているから祭とかも参加できないだ、身体障害者を指でさして笑ったり、貧乏を差別したりとか...幼いころから不条理を必要以上におしつけられて育ってきたせいで不条理に弱いのかもしれない。

おかしいと思うことを、おかしいと言えずに育った幼少期の反動は大きく、正しいことが大好きな青年期を迎え、そのまま40代をむかえてしまった。なんてことだ。学のせいで不条理に弱い大人に育ったのだ。

つまりそれは親のせい。そう親のせいなのだ。そう考えると気分が楽になる『そう、それは親のせいなのです』なんだ、そうなんだった。

その不条理のせいで書く事をはじめたと言ってもいい、口にすると怒られ、叩かれるだけなので、今日の不条理という日記を6歳からつけているくらいだ。

夏休みの日記を学校に提出した時は担任の先生に『家、大丈夫?』と聞かれたくらいです。今でもはっきり憶えているのは、夏休みひまわりの観察をテーマに観察日記をつけていたのですが、花が開いたその日に父が庭に夏野菜を育てると言い、夏が終わると枯れてしまうひまわりなんて、なんのやくにもたたないからとぬいてしまいました。私は父にぬかれるひまわりの様子を絵日記で説明し、抜かれてしまったひまわりを観察ノートにつけ続けて学校に提出しました。

最後の文はこう締めくくりました。すぐに枯れてしまったひまわり、太陽に向かって咲けたのは一日だけでした。それでも咲けてよかったと思います。植物は土に根がはらないとすぐに枯れるということがこの観察でわかりました。

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