ありがとう。

2017/11/18
大学で大変お世話になった林信恵先生が78歳でお亡くなりになられた。大学を卒業してすぐに創った作品が『林ん家に行こう』だった。これはいつも迷子になる自分の為に創ったなんでもない作品だ。宿命のように張り付いてくる性格の悲劇をどうにか緩和しようと思い創ったのだ。もう20年以上前になる。
生活の所作そのものが芸術になりうるのなら、道に迷う自分も、そうしてようやくたどりついた頃にはもう稽古場には誰もいなかったり、ボロボロの日々もきっとダンス表現になりうるだろう『わけのわからないところ』そのものが表現になると思ったのだ。ダンサー達はみんなはじめこれは振付になるかな?と疑問を抱いていた。『普通のダンスはやりたくない、それではダンスになってしまう』が口癖だったから、10人くらいたダンサー仲間も気がつけば3人だけになってた。ダンサーで出演してくれたダムタイプの平井さんと、大阪のじゅんちゃんにはとても感謝してる。二人ともすごく踊れるのに、ダンサーぽく回っちゃダメとか言われて、足もすごくあがるのにあげちゃダメとか言ってごめん。
まだ20代前半の私はわけのわからない作品『林ん家に行こう』を創作して何回か作りなおして60分の作品にして、フランスで1ケ月も公演して、最終的にエノモトアート賞という賞をいただいた。


その時もなんで『林なの?』と林先生や伊藤先生は笑っていましたが『あまり意識してなくて林にしました』と答えた記憶がある。全身黒レオタードとパンタロンでいつもタンバリンを持って『ミクニそうだ!違う、そうだ!ストップいい!』などと言って舞踊学科で指導してくれた林先生を思い出します。大学の時は、ほとんど意味はわかりませんでしたが先生が指導してくれてよかった。作品は全て最終的にはそれでいいと褒めてくれたのでよかったです。(きっとよくなかったのに)先生達が用意したダンス指導の就職先を断り、映像の勉強をする、留学をしてみるなどと勝手を言って本当にすいませんでした。大阪の伊丹Iホールにて演劇の公演をした時に観にきてくださりロビーで話したのが最後でした。林先生、ありがとう。
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