お前、やっぱダンスじゃないなと言われるようなことしかしたくない

2017/02/28
ダンスインアジアのミーティング
ミーティングはとても有意義なものだった。しかし、『なんでこんなこんなことやるんだ?自分のことだけ考えて、頼まれたら作品を創るでいいと思っているけど僕は』というジッティさんの言葉には驚いた。みんな無言になってしまった。ダンスの人は多々こういう人がいる。自分のためだけに踊るナルシシストが...いや、こういう人がほとんどだったりする。それが悪いわけじゃないけど、『気軽に好きなことだけをやろうよ』なんて、馬鹿か、なんだか引退した人のようだ。社会を変えるのは無理だから自分が楽しければいいなんて、一生バカンスしてろと思う今日この頃。

だいたい、作品は自分のものではなく、手を離れて観客のものに、そうしてもっと別のものになってゆくといつも私は思っている。

ダンスぽいものを作ってくれと言われ続けて、ロミジュリから10年間結構ダンスぽいものを創って来たが、もうやらね、好きなようにやろう!!『おまえダンスじゃねーよ』と言われるようなことだけをしよう!!もうダンスカンパニーなんてやらないよ! だいたい嫌いなんだ。鏡みて踊る奴も、リノの上じゃないと踊れない奴も、床が柔らかくないとという奴も、掃除もしないような奴も、みんな大嫌いなんだよーと思う今日この頃。(ニブロールにはそんな人いない、性格が悪い人はいなくなるよ)

自分の幸せだけ考えたい、それで良いと、ダンスの人は多々こういう人がいる。『そんなことなら、もうダンスなんて踊らないし、創りたくもない、教育も何もかも必要がないじゃないか』と言い返すと...『うーん、僕はそんなことできない。助成金がとれるかどうかもわからないし』でた、お金だよ。お金、お金って言う奴にろくな奴はいなかった。金のあるところで踊れ、私とは無縁の人だと思う今日この頃。

ダンスより他に楽しいことみつけたり、色々あって稽古時間にこれないダンサーもその時点で、もうダンサーではなく、時間のある時にお手伝いする人になる。それでいいじゃないか。何が悪い。手伝ってくれるだけでありがたいよ。舞台は稽古時間が絶対だし、表に立ち続けるというのは大変なことなんだしょうがないよ。ニブロールだってギャラを払っているが、年間では雇えないので、そのギャラでやれる人でやってゆくし、それ以上でもそれ以下でもないのだ。と思う今日この頃。

だいたい、好きな時に、気軽な気持ちで、やるなんてそんな甘いことが許されるのか?そんなの気軽な気持ちで参加して許されるのは一般学生や主婦だし(学生でも専門に学ぶ人は許されない、少なくとも近畿大学では許されない)気軽に楽しくそれは、それで良いとは思いますが、それは、こちらがお金を払って「楽しくしてくださいねー』と言えるようなことではない。気軽にやる人が私に金を払うべきだ!と思う今日この頃なのです。

もうダンスカンパニーなんてやらないぞ!(もともと、やってないんだけどね。嫌いなんだ、どこも団体、団体ってみんながやってるようなことはやりたくない)お前はやっぱダンスじゃないなーと言われるくらいに、新しい、面白いことをしてやる。

ダンスインアジアは確かにすぐに何かが変わるというのはない、教育もすぐに結果が出るようなものじゃない、ただ、そこに結果をもたらさなかったとしても、シェアしてゆくのは必要だと思っている。

インドネシアのムラティさんとコラボしたスカンク(音楽)、台北のヤオさんとコラボした高橋(映像作家)、小山(ダンサー)も色々なことを感じとって次に向かってくれると信じている。

ヤオさんとも話したが、若い人は大変だと、でも何か方法はあるんじゃないかと思うということも....他の人のために動く時やはりすごいエネルギーを使うのは事実だけど、それができなくなったらもう新しい形なんて生まれてこないんじゃないかと思う今日この頃です。


ダンスインアジアの様子→ダンスインアジア2017
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静かな1日稽古→ダンスインアジアイベントにて本番

2017/02/19
もうすぐ始まるダンスインアジアで台湾の振付家ダンス作品とMYP演劇作品『静かな1日』をやります。そうして、2日間やって終わった。2回とも満席になり、友達や知り合いが沢山来てくれて本当にありがとう。感謝です。

高橋啓祐のインスタレーション作品から始まった作品として、展示も観られて是非様々な方向に発展してゆくのを楽しみにしてもらいたい。2013年初演から毎年どこかでやってる『静かな1日』初演よりはるかにクオリティーが上がっていて、観てもらえてすごく嬉しい。ただ課題は残したままですが...
2月25日19:00・2月26日14:00 ★トークあり@ 森下スタジオ


将来のビジョンがないとよく言われる。確かにそうかもしれない。私にはビジョンがない。だから、カンパニーを作ってゆくということも難しいのだろうと、団体で何かをするというイメージが持てない。勿論、その時々に作品ごとに共同作業し、旅をすることはできるが、それを何年もかけて共有することが苦手なのです。責任が持てない。その人の好きなように人生を歩むべきだと思うので強制は絶対できないと思っている。

色々な人からもうやらないと聞くが、そんなの決めなくてもいいのに、やらなければやらなくなるだけだし、なんかわざわざ言われると返す言葉がない。『あーそうですか、そうして下さい...』としか言えない。私には先のことはわからない。そんなもんだろう。ダンスなんかなくてもみんな幸せに暮らしている。ちょっと経験してみたで良いよ、その方がいいよ、それでもやりたいと思う人がなんか方法を探してやるんだろうと思うし、目指しても届かない人も沢山いるけど、その方が幸せだったりする。しょうがないよ、そうか無理だねと思うだけだし、思われるだけだし、それで良いではないか、無理って思った時点で無理だよ。しょうがないよ。


「作品はそれが作品ではないかのごとく、初めも終わりもないように作らなければならない。人生には初めも終わりもないのだからね、詩人であることはたやすいが、詩人でしかないことは難しい、自己の中に詩人を宿らすことなしに哲学はないんですよ」と誰かが言ってたなぁー
何言ってんだろうな?自分だってできなかったくせに、自分の中に詩人だけを宿らすことができるのだろうか?絵だけを、踊りだけを宿らすことなんてできるんだろうか?まだまだ、初めとか終わりを考えてしまうなー、まだまだなー自分。



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