桜の園 in 烏鎮演劇祭参加

2016/09/25
稽古は進んでおります。少しづつ変えながら、きっとどの国でも同じような問題がおこっていると思う。解決されないであろう問題について考えぬくことができれば言葉は古くならないのかなとおもっておりますが、その人にあう言葉というのもあるのでそこを探っていければと思います。

烏鎮演劇祭
sakurano 2016001

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ようやく瀬戸内国際芸術祭終わりました。

2016/09/02
無事に終わりました。瀬戸内国際芸術祭『世界は縮んでしまってある事実だけが残る』@犬島精錬所
感想など

海外からダンサーを招聘したことでの難しさ、出演者である日本のダンサー達がとてもよくカバーし踊ってくれたこと、近畿大学矢内原ゼミ学生の皆さんに参加してもらったこと、本当に砂の上で踊るのは大変だったと思います。懐かしい人たちにも会えてとても嬉しかった。また会えるかな?会えるといいなぁ。。。。

"弱さ"から"美しさ”を探したい。そう思いながらこの作品に取り組んできた。なぜこんなことをしなくてはいけないのか?いつもそこに意味を探しては、生きてる間に少しでも前に進みたいと思ってしまう。なにもないのに、とくになにもないのに、それでも進みたいと思ってしまう。そうして、あぁまた届かなかったなぁと空を見上げると、煙突がみえ、黒い煙が立ち込める。
その昔、ここ犬島には多くの人々が住んでいて、多くの労働と生活があり、この地は活気にあふれていた。ダンサーたちの足下にひろがるのは、スラグと呼ばれる黒砂。かつて精錬所が稼働していた頃、ひとつの鉱石からわずかな銅を取り出すためにできた不要物で、言わば発展の裏側にほっぽりだされた残骸。それは、幾時代もの風に吹かれて、いまもこうして私たちが立つ足下をささえている。かつての労働者たちの名前を私はひとりもしらない。多くの人々がその他大勢に過ぎず、私たちもまたその他大勢のひとりに過ぎない弱い人間だと思う。
届かない、どうにもならない思いが、いくつもの悲劇を生みながら、世界はどんどん縮んでいく。わたしたちの存在しているこの瞬間は、どんな事実を見出すだろうか?どんな事実を残すのだろうか?これまで犬島では多くのパフォーマンスが繰り広げられてきた。その幾つか目撃してきた。私はその事実を忘れたくない。劇場とは違う空間の中で、映像や音楽とともに、ダンサーたちの身体が、そこからこぼれる叫びが、かすかな息づかいが、それらすべてがこれまで流れてきた時間とか、もう私たちの作品とは関わらなくなった多くの人たち、この世にいない人たち、それらすべてとかさなる瞬間を観ていただきたい。そこから続くこの先の光を見つけてみたい。そんな思いでこの作品に取り組んできた。とにかく終わった。いやこの世の中に終わりなんてないのだから、今回の犬島での挑戦は終わった。出演者、スタッフ、観客、島の人々、福武財団の人々、瀬戸内芸術財団の人々関係者してくださった全ての人々に感謝です。
ありがとうございました。
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ダンス作品を創る意味はきっとこの『届かない』ということにあるのだろう....
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