コメント、メッセージについて

2013/11/01
とても悲しいことがおこった人にどんなメッセージをおくればいいか?ずっと考えているけれど、まぁ、なにもできない。ただ悲しいなって思うことと、あの人なら、きっとそこから立ち上がってくれるだろうと、信じて、祈るばかりです。

コメントやメッセージと言えば、ドキメンタリーをみるといいように思う、学生時代ドキメンタリーを撮っていたくらいなのでドキメンタリーは大好きです。

BSドキメンタリーをみる。「一人でいることになれてるから、一人でいることがあまり辛いと思わないよ」とそのドキメンタリーでいじめられたトラウマを持つ男子生徒の行動が自分の高校生の頃に本当によく似ていて驚く。

私は人にいじめられたこともないし、いじめたこともないけれど、その男の子に『大丈夫、きっとぬけだせるから』と言われたら胸がキュンとなった。コメントやメッセージはやはり、自分として送る言葉なのだろうなぁとその映像をみながら確信をする。

そうして、もう一つ気になった教師の言葉「私達は多くの学生を切り捨ててきすぎたから、信じて助けるということをしたいのです。実際、私が周りに助けられて高校を卒業し、大学にいき、今教師になっている」と....そうか、レポートを提出すると言うので、信じてギリギリで合格にしてもレポートを一切ださない人がいても信じなくてはいけないのだろうか?あぁ教師って大変な仕事だなぁと、あの学生は、いつレポートを提出するんだろうか?きっとこのまま、もう、ずっとしないのだろうなぁ、約束は守られないままなんだなぁと、それならそれでも、まぁいいか、だまされた私が悪いかぁと、思ってしまうところもまた私です。でも、だます側じゃなくて、だまされた側でやっぱりよかったと思うのです。

以下のようなコメントを4年生に送った。偉大な振付家達のような作品を創らなくてはいけない、創り続けなければいけないと信じてそれに向かうのですが、もちろん自分にはそんなことはできなく、興味がばらけてしまい、それがとても欠陥のように感じて、私は振付家ではない、振付家のふりをしている嘘つきなんだと長い、長い間、考えてきました。そのうち、自分のやっていることが、救いようのない試行錯誤で、自分における困難に立ち向かっていて、これこそ皆が生きているなかで普通にしていることで、そうごく普通の仕事で、そうだ!それが踊りだということがわかったのです。踊ることは別に特別なことではないと(実際はもっと長いコメントのですが)、まぁこんな感じのコメント。大学にきてからコメントを下さいと言われることが内外で多くなってきた。私はどんな言葉を送ることができるのか?悩む、すんなり書ける時もあるが、悩む時もある。これでよかっただろうか?と、なにも正しいコメントはできてないかもしれない。

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